一紫会名の由来

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「一紫会」命名の由来

その命名は、古今和歌集の中の一首「むらさきの一本(ひともと)ゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る  不知詠人(よみびとしらず)」の冒頭部分に由来します。

口語訳は「紫草(むらさき)がただ一本生えているだけで、武蔵野のすべての草がいとおしく思われることだ。」という意味です。
古くから染色や薬草として用いられていた紫草ですが、たった一本、この紫草が生えると、次第にその周囲は紫草の白一色になってしまいます。それになぞらえて、一人ひとりの出会いや交流により物事が広がりゆく様を「紫」と書いて「ゆかり=縁」と読ませるようにもなりました。

一方、紫色は中世より高貴な色とされ、位の高い者にしか許されない色でした。
学祖跡見花蹊は宮中の女性師範として高い評価を得ており、後に女学校を開いたとき、跡見生は昭憲皇太后より紫の袴の着用を許されたのでした。

第2代学長である伊藤嘉夫先生は、このように跡見ゆかりの紫を古今和歌集の紫草に重ね合わせ、その一本を生徒一人ひとりになぞらえて、学歌「紫の一もと」を作詞されました。

そのお心は「各々の根ざした地はいずこであろうとも、卒業生一人ひとりがゆかりを得たすべての人に慕われ、花蹊の教えの輪が広がりゆくように」というものです。

同窓会設立の折り、第1回卒業生はこの学歌「紫の一もと」に込められた思いを忘れることなく、卒業生がいつまでも心を一つに寄り添えるようにと、会名を「一紫会」と命名しました。

また、現在は一紫会のロゴとしても使用している「一紫会だより」の題字は、伊藤先生のお筆によるものです。