新潟支部

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県章新潟支部のあゆみ

新潟支部

初代新潟支部長  八坂絵里子 (一紫会「五十年史」より転載)

3人目を産んだのが二〇〇〇年四月、二人目を産んでから七年経っていました。久しぶりのゼロからの子育てで、慌ただしく毎日が過ぎていた翌年の秋、ホテルオークラ新潟で和食をご馳走していただけるという本部からの招待状をいただき、我を忘れて子育てしている私に、とっておきのご褒美だと嬉しさのあまり飛びつきました。

夫も滅多にないことだから行ってくればと言ってくれました。趣旨もあまりわからないまま参加した私は、東京からいらっしゃった本部の方々がとても眩しく見えました。新潟からの参加者もみんなお互い初対面でしたが、跡見の話で盛り上がり、年長者の清水さんを中心に八人の新潟支部運営委員で第一回の新潟支部会発足の準備をしていくことになりました。

 当時、新潟を含めた北陸地方は会員が二七五名、そのうち新潟だけで百六十三名いたので、一県だけで支部ができることになりました。子育て以外特に何もしていなかった私は文書作成や口座管理などを引き受けることになり、支部長の清水さんとご相談しながら、運営委員の皆さんと打ち合わせを四回重ね、無理なくできることを分担することになりました。

集合場所は新潟市内が多かったので、長岡方面や、燕三条方面の委員の方は参加するには少し遠かったと思いましたが、支部運営に負担がかからないよう、資金的にも精神的にも本部の方々にサポートしていただきましたことは大変有り難いことでした。そしてどんな些細なことでもファックスなどで質問すると、いつも的確でかつ丁寧にお答えいただきました。

 当日の運営委員六名以外の参加者は二名。理事長先生、学長先生、本部役員六名の方がいらしていただいたお陰で、とても華やかになりましたが、新潟からの参加人数が少し寂しかったなと思いました。ただ人数を集めるのが目的ではないとお話くださったので、隔年開催できることを目標にして、第一回の支部会は無事閉会しました。

 その後順調に会が開催されたかというと、平成十六年には中越地震、二十三年には東日本大震災、新潟支部会は二回延期という措置をとりました。

五回目の支部会からはずっと頼りにしていた支部長の清水さんが、ご家庭の事情で参加できなくなり、私が支部長代理(実質支部長)として携わることになりました。幸い作業全般をずっとやり続けていたので、体制に影響はなかったのですが、支部会当日の開会の挨拶などとても苦手で気の利いたことが言えないことが今でも悩みです。それ以外は参加者のお話は毎回刺激的で楽しく、有意義な時間と美味しい昼食をいただける、私にとってリセットのひとときです。

  • 第1回支部会第1回支部会

支部会 開催履歴

2001平1311/18新潟支部(北陸支部合同)準備会 オークラホテル新潟
2002平145/26第1回新潟支部会 ホテル新潟
2004平1611/14第2回新潟支部会は中越地震(10月23日)のため延期
2005平179/25第2回新潟支部会 新潟「北方文化博物館」
2007平199/30第3回新潟支部会 ホテルニューオータニ長岡
2009平216/21第4回新潟支部会 上越市・ホテルセンチュリーイカヤ
2012平2411/10第5回新潟支部会 ホテル日航新潟
2014平2611/16第6回新潟支部会 ANAクラウンプラザホテル新潟
2016平286/19第7回新潟支部会 新潟・ホテル飛鳥
2018平307/8第8回新潟支部会 越後長野温泉「嵐渓荘」
2022令410/15第9回新潟支部会 ANAクラウンプラザホテル新潟